「月刊 日本読書クラブ」は、1983年2月の第1号から、1993年8月通巻123号で休刊するまで10年以上にわたり刊行し続けた。その内容は、読書に関するさまざまな情報を中心に、実に多岐にわたっていたが、その中でも特に人気と評価の高かった「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」というコーナーを、このブログを通じて紹介してみよう。

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● 自分の頭で想像する力をはぐくむ
ここ20数年、日本人がますます本を読まなくなってきていることが嘆かれています。それは大づかみにいえば、日本人は「ものを考えることを忘れ、豊かな心を失ってしまう」 ことへの恐れを嘆くものです。そこで、いまやマスコミの王者であるテレビと対比しながら問題を考えてみましょう。
児童文学者で、「日本読書クラブ」の講師でもあった椋鳩十さんの作品に、小学校の教科書にもおさめられている「月の輪ぐま」という短編があります。
山で母と子のクマにであった人間が、あるとき、川原で子グマだけがあそんでいるのを見つけて、その子グマをいけどりにしようとします。ところが、子グマを谷川の滝壷の近くまで追いつめたとき、高さ30メートルもある滝の上に、母グマがあらわれ、その母グマが、子グマを助けたい一念で滝にとびこむという、母グマの崇高な愛情をえがいた名作です。
さて、この作品を、子どもたちが本をとおして楽しむときは、目で文字を追いながら、頭のなかでは、山奥の谷川と滝の情景を、いろいろ想像するでしょう。母グマが、川岸の大きな岩をだきおこして、子グマにカニをとらせるところがありますが、そこでは、母グマのあたたかい姿と、子グマのかわいい姿を、あれこれ頭にえがいてみるでしょう。また、人間に追われて、いっしょうけんめいに逃げていく子グマの姿、子グマのことを心配して滝の上から人間をにらみつけ、やがて、まっさかさまに滝へとびこむ母グマを、いろいろ思いうかべるでしょう。さらには、そんな情景だけではなく、谷川の水の音、山にこだまする滝の音、それに、子グマのなく声、母グマのほえたてる声も想像するでしょう。

● 自由で主体的な思考をはぐくむ
ところが、もし、この物語をテレビで見たとしたら、どうでしょうか。谷川や滝の景色も、母グマや子グマの姿も、すべて、完成した画像になって目にとびこんできます。谷川の水の音も、滝の音も、クマのほえたてる声も、視聴者に想像するいとまも与えずに聞こえてきます。つまり、視聴者は、自分ではなにも想像しなくてもいいということになり、ここに本を読むことと、テレビを見ることの決定的なちがいがあるのです。
本を読むときは、文字が語っているものを、目には見えていないものを、自分の頭をはたらかせて映像にし、あるいは音にして、思いをめぐらしながら、いろいろ考えます。でも、テレビを見るときは、その必要がありません。したがって、本を読んでいるときの考える行為と、テレビを見るときの考える行為には、おのずから深浅の差が生まれ、これが、テレビ人間がふえればふえるほど読書の効用が問われる理由の、最大のものではないでしょうか。
それから、もうひとつ大切なことがあります。それは、たとえば5人がいっしょに一つのテレビ番組を見ているとしたら、その5人は一方的に送られてきた共通の映像を楽しむことしかできませんが、本は、たとえ同じ本を読んだとしても、5人が、それぞれ独自の映像をえがくことができるということです。つまり、テレビを見ながらの思考は、画一的なものになりがちなのに対して、本を読みながらの思考は、自由で、主体的で、個性的であることが許され、この自由な思考こそが、人間のほんとうの「考える」いとなみを育ててくれるのです。
テレビを見るな、などというのではなく、テレビを見ても、それにむしばまれてしまわないためにも、やはり読書の大切さを、もっと知るべきではないでしょうか。