「日本読書クラブカタログ(本の価値と楽しみ)」の第12章「辞書」の項を紹介してみよう。

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● 年を追って低下してきた国語力
つぎの漢字に読みがなをつけ、その意味を書きなさい。
還俗、権化、解脱、反古、防人、普請、校倉、下知、石女、遊説、桟敷、洒脱、釣魚
(読みがなの答え) げんぞく、ごんげ、げだつ、ほご、さきもり、ふしん、あぜくら、げち、うまずめ、ゆうぜい、さじき、しゃだつ、ちょうぎょ
新聞社、出版社の入社試験では、いまでも、きまってこのような問題がだされます。いうまでもなく、日本語の力をためすためです。
ところが、その新聞社、出版社の話によると、読みがなにしても、意味にしても、正解率は、年を追って落ちてきているということです。そして、各社とも、日本人の国語力の低下をいちようになげき、低下をもたらした大きな原因としては、テレビやマンガ本に代表される視覚メディアの普及と氾濫をあげています。
さて、国語力の低下が招いているものは、字が読めない、書けない、言葉の意味がわからないということだけでしょうか。いいえ、それだけではありません。人と話をすることも、たいへん、へたになっています。テレビのえいきょうなどで、だれもが、口数多くしゃべるようになっているのに、日本語を、豊富に、美しく、じょうずに使うことは、まったく、へたになってしまっているのです。このほか、とうぜんのことながら、手紙ひとつにしても、文章を書く力も落ちてしまっています。
ところが、国語力低下の嘆きが、以上のことだけではすまないところに、さらに、大きな問題があります。
それは、思考や想像の貧しさをも招いているということです。つまり、味わい深い豊かな文字や言葉を使うとき、あるいはそれに接したときは、しぜんに、頭のなかで深い思考、深い想像をするものですが、豊かな文字と言葉を使うこと、理解することを忘れることにともなって、思考も想像も浅いものになってしまっているのです。
その人の話をきけば、その人の書いた文章を見れば、その人がわかるなどといわれますが、そうだとすれば、自分の国語力の貧困を、まず自分が恐れるべきではないでしょうか。

● 使用の目的にあった辞書を
では、一般の人びとが国語力の低下をふせぐには、どうしたらよいのでしょうか。
それには、本を読むことが第一ですが、もうひとつたいせつなことは、国語の辞書・辞典、漢字の辞書・辞典を大いに活用することです。言葉や漢字の辞書・辞典といえば、それは勉強のときに使うものだ、学校を卒業したら用のないものだと思いこんでいる人が多いようですが、これは、まちがっています。たとえ学業を終えても、なにかを勉強することはなくなっても、文字と言葉は、生涯使うものであるということを、忘れてはなりません。
ところで、実際に辞書・辞典を買い求めようとするとき、「辞書なんて一生に1、2度しか買わないのだから」 と、いつまでも使えるもの、家族みんなで使えるものをと考える人が少なくないようですが、これもまちがっています。辞書・辞典は、いま使うもの、いつも使うものです。したがって、原則的には、家族共用ではなく、使う人の知識度と使用目的に適したものを、それぞれが備えておくべきでしょう。なぜなら、文字の大きさはもちろんのこと、収録語の数も、解説のくわしさも、それぞれ異なり、すべて使用者のレベルなどにあわせて編集されているからです。

● 子どもは解説のやさしいものを
たとえば、収録語数を比較してみると、次のようになります。
広辞苑、広辞林など大型のもの……収録語数15~20万語
一般向きの小型辞書……収録語数7~8万語
中学生向辞書……収録語数4~5万語
小学生向辞書……収録語数2~3万語
これを見ただけでも、質の違いがはっきりわかります。しかし、質が違うからとはいっても、収録語の多いものほどよい辞書で、少ないものほど悪い辞書だなどと考えちがいをしてはいけません。小学生にとっては、収録語8~10万のものよりも2~3万のもののほうが適しているのです。語の数にかぎらず、1語1語の解説だってそうです。一般向きであれば解説はくわしいほどよいともいえましょうが、子ども向きは、くわしさよりも、その段階に適した解説であることのほうが、むしろ、たいせつです。
したがって、学生のような場合は、小→中→高→大学と進学につれて使う辞書・辞典を変えていくというのが、いちばんのぞましいということになります。そして、これを逆にいえば、親が、小・中学生の子どもの辞書類でまにあわせるというのは、収録語数のうえからも解説の深さのうえからも、好ましくないということにもなります。

● 辞書をひく習慣をつける
さて、この辞書類をどのように使うかということですが、これは 「辞書をひく習慣をつけること」 に、すべてがかかっています。習慣のない人は、たとえ目の前に辞書があっても、よほどのことがないかぎり、手をのばさないでしょう。実生活に支障がなければ、文字や言葉を多く深く知らなくてもなにも困らないからです。
ところが、辞書を使いはじめると、事あるごとに、使わずにはいられなくなります。ひとつには、文字と言葉を、これまでいかにあやふやに使っていたか、いかに知らなかったかに、気づかせられたからです。そして、もうひとつは、辞書をひくことをとおして、調べる楽しさを知らされたからでしょうが、実は、この調べる楽しさを知ることが、おとなにとっても、子どもにとっても、たいへん、すばらしいことなのです。「調べる」ことは、人間がものごとを正しく、深く、広く知るうえにたいせつなばかりか、ものごとに対して創造的にとりくむ意志を、しぜんに育ててくれるのですから。
辞書・辞典とつきあう楽しさは、なにげなくひろげたページを 「読んで」 みれば、すぐ、わかります。この楽しさをまず親が知り、それを子どもにも早く伝えてやりたいものです。辞書は 「生きて」 いるのです。

(日本読書クラブ推薦図書の項は省略)