今、手元に1977年4月発売号の「月刊・セールス」(ダイヤモンド社刊)に掲載の1ページ広告がある。全国42支社の募集とあるから、わずか2ヶ月で18地区が決定し、全国29地区と、一気に販売組織が拡大している様子が見てとれる。

ただし、どの地区も順調にいったわけでなく、大半が意気込みだけで終わってしまった。F商事が茨城支社の契約を交わしたが、業績が伴わずにやがて脱落していったように、どのような業種でも似たようなものだとは思うが、よほど真剣に仕事に取り組まない限り、軌道に乗せるのは至難のわざなのだ。

もちろんその頃から、またその後に支社長となった人も含め、しっかり地盤を築きあげた支社がいくつか出てきた。中でも、栃木県、長野県を筆頭に、岩手県、神奈川県、山口県では、それぞれの地域にあった営業方法や研修方法を工夫し、順調に売り上げを伸ばし、経営も安定しだした。そこで、今後は新たな支社を募集するより、ノウハウを確立した支社が隣接する県に出店していくというやり方が最も効率がよいことがわかり、それを推進する方向に切り替えていった。

特にその組織づくりに成功したのは、Y氏の率いる長野支社だった。茅野市(後に諏訪市)に支社を構え、県内に長野市、松本市、上田市、飯田市などに営業所を置き、地域に密着したきめの細かな営業活動で、着々と成果をあげていった。特にY氏の蓼科湖畔の元旅館だった住まいの大広間を研修所にし、泊り込みの研修体制は見事に機能しだし、人材の育成は他の支社のどこにも負けない、独自のノウハウを築きあげていった。そして、長野県内をうまく組織化したY氏は、隣接する新潟県、静岡県に組織を拡大していくのである。

その後の「いずみ書房の歩み」については、後日改めて記述したいと思う。まずは、本日をもって、53回にわたる「いずみ書房」の創業期のドラマを終了することにする。長い間のご愛顧に感謝!(ペコリ)