間もなくF商事から連絡があり、J・チェーンの加盟店で「ポケット絵本」の販売に力をそそいでくれている方々に声をかけたところ、数人が応じてくれたという。約束の土曜日の夕方、F商事の事務所でみんなに初めて面談することになる。ほとんどはすでに顔なじみのようで、私が到着した頃はかなり話が盛り上がっていた。その点J・チェーンの組織というのは、横のつながりが実に密なものがあることを実感した。と同時に、もうすでにJ・チェーンの破綻後の仕事をどうするか、真剣に頭を悩ませていることがわかった。

私はすぐに構想している販売組織のこと、全巻一括納品、信販会社との口座の作り方、取引方法、W氏のセールス法についてと、ポイントをかいつまんで話をしてみた。特にW氏のセールス法には、みんなびっくりした様子だったが、半信半疑のような顔をしている。私はおもむろに、同行した時のテープを聞かせた。すぐに、私の言っていることが事実であることを理解してくれた。そして私は最後に、保証金の話をしてみた。

「J・チェーンでやられて、在庫かかえて参ってる」「もうビタ一文残ってない」「F商事さん、金貸してくれないかね」「冗談じゃない、こちら1000万もすってしまったみたいなもんだ」「米を売れば、すぐに数千万でしょ。30万くらい、はした金じゃないの……」何とも、にぎやかな会話が続いていた。

やがて、栃木県宇都宮市のK氏が声をあげた。「私に、栃木県をやらせてください。W氏のテープを聴いて、私にもやれるような気がします」という。K氏は、J・チェーンの加盟店をはじめる前は日光にある旅館の番頭さんだったそうで、J・チェーン加盟店の中でも業績はAクラスだという。40歳前後のいかにも人当たりの良いタイプの人だった。

そしてもう一人、長野県茅野市からやってきたY氏は、長野県に挑戦したいという。Y氏は蓼科湖の湖畔の住まい。旅館を経営していた父親の病死後に旅館を閉鎖、近くのホテルの従業員向宿舎として住まいの一部を貸しているという。大学で経営学を学び、卒業後すぐに証券会社に勤務、体調を崩して退職し、その後J・チェーン加盟店となったという。開始して間がなかったようで業績といえるほどのものはないが、弁舌さわやかな演説には定評があり、将来はJ・チェーンの幹部になるだろうと噂されていたという。もうすぐ30歳という若さで、前をしっかり見据えた経営者タイプの風貌をしていた。