「酒井さん、この絵本は売れますよ。15年以上前に、世界文化社という会社からでていた『科学ブック』というシリーズがありましてね、これが毎日のように1日7オーダー、8オーダーと契約が取れたことがありました。あの快感を久しぶりに思い出しました」

ニコニコしながらW氏は、取ってきたばかりの「ポケット絵本」の契約書を3枚、テーブルの上に置いた。顧客の住所を見ると、3枚とも、すぐ近くにある集合住宅だった。時計を見ると、事務所を出ていってからわずか2時間ほどしか経っていない。しかも、毎月配本ではなく、全巻一括納品、納品時に現金支払いという契約なのである。私はとっさに、Wさんの営業方法が知りたくなり、同行させてもらえないかと頼んでみた。

「いいですよ。でも、私もこの絵本のこともう少し知っておきたいし、2、3日時間をください。もうちょっと、まともな話もしたいから。さっきなんか、どんな話をしたと思います? ひどいもんですよ。ドアをたたいて出てきた奥さんに、『私、何やさんだと思います?』ですもんね。20年以上営業してきて、はじめて手ぶらで仕事をしたもんで、何かうれしくてね。『さあ、何でしょう?』というんで、実はこういう絵本なんですよ、とおもむろにポケットから絵本を出しました。『まあ、可愛い本』と手にとって中をめくっているうち、子どもが出てきて離さない。『いくらなの、いただくわ』という具合で、ほとんど営業らしいことをしないで買ってくれたんですよ。だから、こんなのは参考になりませんものね」

私は、「ポケット絵本のねらい」という、数ページにポイントをまとめた冊子をW氏に渡し、セールス話法の参考にしてもらうことにした。