児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ

30歳で独立、31歳で出版社(いずみ書房)を創業。 取次店⇒書店という既成の流通に頼ることなく独自の販売手法を確立。 ユニークな編集ノウハウと教育理念を、そして今を綴る。

今日1月30日は、「貧乏物語」 「資本論入門」 「自叙伝」 などの著作で知られ、日本におけるマルクス主義の考えを推し進めた経済学者河上肇(かわかみ はじめ)が、1946年に67歳で亡くなった日です。

明治時代の中ごろ、栃木県の足尾銅山の毒が渡良瀬川に流れて、おおくの人が死亡したり失明したりする事件が起こり、その被害者を救うための演説会が東京で開かれたときのことです。

「わたしは、お金を持っていません。これを、きのどくな方へ」

ひとりの大学生が、自分の着ていたものをぬいで、会の人へさしだしました。そして、さらに翌日には、身につけていた以外の衣類をまとめて、会へ送りとどけました。やがて、ふとしたことから、その大学生の名まえがわかりました。東京帝国大学で政治や経済学を学ぶ、22歳の河上肇でした。

肇は1879年、山口県の岩国で生まれました。少年時代は、医者か文学者になる夢をいだいていました。ところが、吉田松陰を深く尊敬していた肇は、しだいに、広く国の政治について考えるようになり、大学では政治学科へ進みました。足尾銅山鉱毒事件の被害者へ衣類をさしだしたとき、肇の心には、きっと、めぐまれない人びとのために力をつくそうという気持ちが、芽生え始めていたにちがいありません。

「世の中の貧しい人びとを救うには、どうしたらよいのか」

大学を卒業して6年後、京都帝国大学で経済学を教えるようになった肇は、貧しい人をなくすための経済のしくみについて、研究をつづけました。ヨーロッパへ留学して外国の社会主義を学んでくると、マルクス主義の研究も深めました。

1916年、大阪朝日新聞に『貧乏物語』を連載して、大ひょうばんになりました。

「貧乏人は、どれくらいいるのか。なぜ貧乏があるのか。どうしたら貧乏がなくなるか」

こんなことをまじめに世に訴えた学者は、肇のほかには、だれもいなかったからです。肇は、新聞の連載をまとめた『貧乏物語』のほか、次つぎに経済学の本を出版して、45歳をすぎたころには、日本におけるマルクス主義経済学をうちたてました。49歳で大学をしりぞき、やがて共産党へ入って、じっさいに自分のからだで社会主義運動を始めました。

ところが、53歳のときに、共産党をとりしまる国の力でとらえられ、5年のあいだ、牢獄ですごさねばなりませんでした。このとき検事から、共産主義の考えを改めれば刑をゆるすと、なんどもいわれました。でも、肇は、自分の信念をかえようとはしませんでした。

肇は、1946年に栄養失調で亡くなりました。それは、戦争にやぶれた日本が、民主主義国家として歩み始めた年でした。

なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)35巻「与謝野晶子・石川啄木」の後半に収録されている14名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 31]

むかし、木賃宿をいとなむ欲の深い夫婦がいました。木賃宿というのは、料金の安い旅館とかホテルのことです。ある日、大きな風呂敷包みを背負って、両手に重そうな荷物をぶらさげた旅人がやってきました。

これを見たおかみさんは 「お前さん、あの客はどうもお金をたくさん持っていそうだよ。宿賃の1000円を2000円にしちゃまずいだろうから、なんとか荷物を置いていかせることはできないだろうかね」 といいました。

するとご主人は、いいことを思いついたと、ひざをたたきました。「まず、盗まれるといけないから荷物をあずかりましょうといって、こっちに渡してもらうんだ。それから、みょうがをたくさん食わせる。むかしから、みょうがを食べると物忘れがひどくなるというからな」。「そりゃいいね。ちょうど、みょうがの子が出る時期だから、うらの畑からみょうがをたくさん取ってこよう」 と、おかみさん。

こうして、晩飯にみょうがの料理をたくさん出して、客をもてなしました。みょうがの刺身、みょうがのテンプラ、みょうがのおつゆ、みょうがの煮付け、みょうがの漬物……と、みょうがづくしです。客は、おいしいおいしいと、大喜びで、たくさん食べました。

さて、翌朝のこと。客は 「ゆうべ預けた荷物をもらおう」 といって、荷物を全部返してもらうと、満足そうに出て行きました。おかみさんはがっかりして、主人に 「みょうがの効き目はなかったね。あてがはずれちゃた……」

「いやいや待てよ、効いた、効いたぞ。あの客、宿賃のことを忘れて、払わないで行っちまったぁ」

こうすれば子どもはしっかり育つ 「良い子の育てかた」 68

家庭内における、親に対する子どもの暴力──このことについて、しつけの面から、しっかり認識しておかなければならないことがあります。それは、少年期になってからの親への暴力は、幼児期からのしつけの中で 「親みずからがみちびいてしまった」 ものが少なくないからです。

問題は、親の過保護です。わが子が要求するものは、子どもかわいさで何でも受け入れてしまう。その結果、子どもは、自分をおさえることを経験しないまま育っていく。そして、親が抑制や制約を与えないために、子どもは常に満たされた形で育ち、第一反抗期の反抗もないうちに過ぎてしまう。親は 「親に反抗しない素直な子だ」 と勘違いしたまま……。

ところが、要求、欲望が大きくなり始める第二反抗期 (思春期) になると、親ははじめてそれを抑制させなくてはならないことに気づき、おさえはじめる。すると、子どもは反発──自由にさせてくれない親への暴力──ということになってしまうのです。

最近、親の権威がなくなったといわれます。でも、これはなくなったというより、子どもを甘やかすことで、親自身が権威を捨ててきているといえないこともありません。[過度な欲望をできるだけ抑える]──これこそ、幼児期に最も大切なことではないでしょうか。

「星と星がぶつかることはないの ?」 おもしろ科学質問箱 5

夜空を見上げると、それこそ無数の星たちがぎっしりと、ひしめくようにきらめいています。こんなにたくさんあるのだから、ぶつかってしまうこともあるのでは? と思ってしまいます。でも、それぞれの星同士は、これまたとてつもなくはなれた距離にあるのです。

たとえば、私たちの住む地球は、太陽系といって、太陽と太陽のまわりをまわっている8つの星を中心にしたグループです。太陽に近い順に、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星があります。太陽のように自分で輝く星を「恒星」というのに対し、太陽の光を反射する地球を含むこれらの星を「惑星」と呼びます。(冥王星は、太陽系の惑星とされてきましたが、2006年に開かれた国際天文学連合の総会で「準惑星」と分類されました)

太陽系の仲間だけでも、どのくらい離れて存在しているのかを、太陽をあなたの頭の大きさだと仮定して考えてみましょう。すると、いちばん太陽に近い水星は、あなたの頭から6メートルも離れたところの直径1mmほどの丸い粒でしかありません。金星は10メートル離れたところにある直径2mmほどの球、私たちの地球は、あなたの頭より15メートルも離れたところにある2.5mmほどの球体です。次の火星は、23メートル離れた地球より一回り小さな星です。続いて惑星の中で一番大きな木星は、80メートルも離れたところにある直径1.4cmのビー玉ほどの大きさです。土星は140メートル、天王星は300メートル、海王星は450メートルも離れています。そして、それぞれの惑星は、太陽の引力に引っぱられて、地球が1年かけて太陽の周りをまわるように、どの惑星も自分の軌道からはずれることなく、きちんと太陽のまわりを回っているのを知れば、宇宙にある星たちがぶつかることはない、と断定してよいでしょう。

ちなみに、太陽以外の地球から一番近い恒星は、ケンタウルス座のアルファ星ですが、これが4.3光年だそうです。星の距離はキロメートルという単位でははかりきれないので、光年という名称を使います。光は1秒間に30万キロメートル、1年間で10兆キロメートル走ります。そのためアルファ星との距離は40兆キロメートル以上も離れていることになります。もう想像するだけで、頭がこんがらがりそうですね。

先週の土曜日、たまたま近くの古本屋で 「セザンヌとブリヂストン美術館」(1982年・朝日新聞社刊) という本を見つけ、購入しました。この本は今はもちろん絶版、購入したいと思っているうち買いそびれてしまったものでした。

ブリヂストン美術館は、東京駅から徒歩5分ほどのところにあるので、いつでもいけると思っていたために、気になりながらも一度も訪れたことがありませんでした。この美術館は、自動車タイヤでは日本を代表する大企業「ブリヂストン」の創業者・石橋正二郎が1952年に建設した社屋の一角に、戦前からこつこつ収集してきた美術品を一堂に公開したのがはじまりです。[ちなみに、社名のブリヂストンというのは、石橋の英語読みで、ブリッジ(橋)とストーン(石)をいっしょにしたことは有名です]

当初から、フランス近代絵画や日本の近代洋画の秀作をそろえた美術館として知られていましたが、この本でセザンヌ「自画像」「サント・ビクトワール山とシャトー・ノワール」、マネ「自画像」、モネ「ベニスの黄昏」「睡蓮」、ピカソ「腕を組んですわる軽業師」、コロー「森の中の若い女」といった、著名な画家たちの代表作を収集していることがわかり、翌日の午後に出かけてみました。

率直な感想は 「これはスゴイ! よくぞここまで集めたものだ」 というものです。そして、1982年以降に購入したのでしょう。ルノアールの 「坐るジョルジェット・シャンパンティエ嬢」 が燦然と輝いています。(この少女は、ニューヨークのメトロポリタン美術館にある「シャルパンティエ夫人と子どもたち」というルノアールの代表作の中で、大きな犬に座っている少女と同一人物、父親はモーパッサンやゾラなどの小説を刊行する出版社のオーナーであることもわかりました)。さらに、マリー・ローランサンの「二人の少女」など、今も少しずつ名画の収集を続けているのがわかります。

入場料は大人700円、65歳以上のシニアは600円。日本では、著名な絵を集めた特別展が頻繁に行なわれ、報道や宣伝もしっかり行なわれるためか、人が多すぎて鑑賞どころではないことを何度も体験したり、話に聞いています。でも、こんなにもたくさんの名画中の名画を集め、ゆっくりと鑑賞できる常設展が身近にあるのです。「灯台もと暗し」、世界の著名な美術館と比べても遜色のない美術館との出会いに、心豊かになった感じがしました。

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